宮澤賢治「沈んだレコード」二つの証言 其の二

証言其の二

「沈んだレコード」

佐藤隆房著『宮澤賢治』 冨山房 昭和14年初版 より

 

 (大正十一年夏)

  レコードの蒐集に夢中な頃。わざわざ仙台にまで出かけて行き、気に入ったレコードをたずね歩いて、ようやく会心のものを四,五枚見つけて贖い、帰ったらその美しいリズムを聴こうと楽しみながら帰路につきました。帰りは塩釜様に参詣し、そこから小さな遊覧船に乗って松島に出ることにしました。ところがどうしたはずみか、その遊覧船がひっくり返ったのです。幸いにまだ塩釜の湾内であったために、すぐに水上警察ではランチを飛ばして救助にやってき、大変な騒動です。

 他の乗合いといっしょに投出された賢治さんも、水中でジャブジャブやっておりましたが、警察のランチを見ると大声で「早く、早く、大したものを落としたから、早くさがしてくれ。」と言うので乗組みの警官も「何だ、何だ。何を落としたんだ。」と聞きました。賢治さんは「レコードだ。」と言いました。

さしずめ人の命を心配している警官はすっかり憤慨して「この馬鹿野郎!レコードぐらいはなんだ。」とどなりました。

 泳ぎの出来る賢治さんは、命なんということは念頭にテンからないのですから少しおこって、「そんならいいんじゃ。」と言い返しました。

 警官達は、レコードなどはほとんど問題にしないで、遭難者をどんどん収容し、塩釜に帰り、一軒の宿屋に全部の人を休ませ、いろいろと世話をしてくれました。ところで賢治さんはレコードの外に蟇口も落としてしまったので家に帰る旅費がありません。幸いに懐中時計が残っていたので、それを質屋で金に代えようとしましたのですが、証明がないので受取ってくれません。途方に暮れていた時、さっきどなりつけた警官が証明して、三円を借りてくれました。せっかく楽しみにしたレコードを海の底に落とし、ぽかんとして花巻に帰ってきた賢治さんです。

 

 沈んだレコードはどんなレコードだったのか知りたいところです。

 この出来事の仙台で過ごした時間をちょっと分析してみると、

仙台に着いたときはもう夕方とあります。夏ですから夕方といっても日が長い、東北大

学に行ったとしても公的機関ですから5時前かな?。片平の東北大北門から一番丁へ。

本やレコードをあさるとしたら古本屋街や丸善仙台店(大正5年開業)があったはずで

す。1時間を費やしたとして夕方6時。それから映画ですか。文化横丁の名前の由来「文

化キネマ」は大正14年オープンですからこの時はまだ存在しません。が。いくつかの映

画館があったようです。当時の映画は長くはないので見終わって7時前。駅前に投宿チ

ェックインして近くの割烹で夕食。食べ終わって8時前でしょうか?人通りが少なくな

った街をぶらぶらしながら宿へ帰る。こんなとこでしょうかね。