「宮沢賢治・音楽ギャラリー」開設に向けて 2024年年末 その4 宮沢賢治「革のトランク」

俺は一体は何をやってるんだろう!
 
宮澤賢治の作品「革のトランク」が頭に浮かんできた。
「斎藤平太は、工学校にまぐれあたりのように入学し、教師のなにかの間違えのおかげで、首尾よく卒業。
 父が村長をしている村へ帰り、家の敷地に建築屋の看板を掲げ開業します。早速来た仕事は、消防小屋と相談所を兼ねた二階屋と村の分教場でした。
 平太は早速設計図を引いて、村の大工たちを呼び、仕事にかかりました。ところが大工たちはおかしな顔をして、下ばかり向いて働いているのです。
 出来上がった建物は設計のミスで、二階建ての消防小屋は階段がなく、分教場には廊下がありませんでした。失敗を恥じた平太は、そのまま東京に上京しました。・・・・」
 
 続きに興味のある方は是非読んでみてください。(若さゆえの誰しも持ったことのあろう虚栄心を描いています。)
 
 私は大学に入学したころ父にこう言われました。「おまえは低空飛行がすきだなぁ」。
高校入学もすれすれ、進学もすれすれ、大学も何とかギリギリで入学・・・・。ろくに勉強もせず、それでもこうして生きながらえてきた。いつも夢ばかり食いながら。夢は本当に美味しい!
 さて、
 
12月8日
 2日前の雪が嘘のような陽気。まだまだやれるぞ!

 トラクターで吊り上げ、製材台の上に・・・。またまたチェインソーがうなりをあげる。


12月11日

 どうしてもログがあと3本足りない。雪も融けたので、切り出しておいたログを取りに向かう。軽トラ4駆はすごい。丸太を滑車とロープでトラックで引っ張り吊り上げ、その状態で別のロープで固定し、吊ったロープを外し、トラックをそばに着け荷台に積み上げる。

 最後の1本が重い。3本を並べるのにひと苦労。ロープでしっかり固定しやっとのことで積載完了。山は時折雪が舞い気温も低い。厳しい作業だった。

年内どこまで出来るだろう?

続きは年明けにしようかな。

 



「宮沢賢治・音楽ギャラリー」開設に向けて 2024年11月から12月 その3

 「ポスト&ビーム」形式のログハウス。伊藤さんが数十年前に建てたのが下の写真。ログを使うのは骨格にあたる部分であとは在来の工法。

 これをすべて二人だけで建てようという。人件費ゼロ。部材や建具もオークションな どで探す中古品。極力出費を避ける。気が早い性格、ドアや窓、薪ストーブはすでに入手してある。

 山小屋からの解体品。窓4組。

 某ファッションビルからの解体品

 冬が近づくと需要が増えるので夏に探した。盛岡まで取りに行った。暑い日だった。

 

11月31日  

 雨の日が続いた。土台材を終え、柱の部材に取り掛かる。

 

11月3日  

 こんな感じで・・・やっとコツを覚えた。下は柱の受けホゾ。

 

11月8日  

 秋が深まる現場。逆光が美しい。

 部材が揃ってきた。

 

11月21日  

 ログ以外の建材が届いた。2×4材16ftや合板針葉樹(900㎜×2400㎜)など。

 およそ5mの直立ポール。いったい何でしょう。クレーン車を使わないで柱や屋根工事を行うための重要なもの。

 

11月23日  

 やっと床が見えてきた。

 

12月3日  

 柱の加工も終わり、小口が45度にカットされ屋根用ログの作業がやっと始まった。

        これにもホゾを刻まなければ・・・棟上げまではまだまだ・・・。

 どうやって組み上げるか?この段階で私には想像できない。

 

12月7日  

 とうとう冬将軍がやってきた。

次回へ続く。

 

「宮沢賢治・音楽ギャラリー」開設に向けて 2024年8月から10月 その2

 年度初頭、どこか気が合うパートナーの伊藤さんの持山・杉林を間伐し、それを材料に「ポスト&ビーム」形式のログハウスを二人で建てることを決めた。完成後は「宮沢賢治・音楽ギャラリー」を開設する。1925年の春完成を目指し、平均年齢が70歳を超える(私は後期高齢者)二人だけのプロジェクトは始まった。

 

8月12日  

 やっと測量杭を立てる。白線部分が建坪 7200㎜×4500㎜ およそ10坪。

8月20日  

 独立基礎用の穴(深さ50㎝以上)を12か所掘り捨コン打設。

設計図なし、看取り図などのメモ程度だけという何ともアバウト。

 

8月23日  

 ボイド管(段ボールの筒)の中には鉄筋を入れる。

 

9月6日  

 生コン車に来てもらい、生コンをボイド管に流し込む。流し込む作業はすべて手作業。

 背景に見える建物は、伊藤さんが数十年前に建てたという、目指す「ポスト&ビーム」形式の2階建てログハウス。

 

9月12日  

 土台のログ(横)とログ(縦)との接合部分の工作。炎天下、丸ノコ・ドリル・ノミでの作業。

 基礎に載せてみる。

 

9月13日  

 ベースキャンプから見る建設現場。

 

9月24日  

 伊藤さんは製材作業、私は杉皮むき、ヤスリ掛け、墨付け、みぞ堀作業に明け暮れ  る。

 

10月5日  

 製材前のログと現場全景

 

10月24日  

 土台部材を載せて何となく形が見えてきた。

 

10月も終わる。年内に棟上げしたい。この感じじゃ厳しいね。

続きは、2024年11月から12月現在 その3

 

「宮沢賢治・音楽ギャラリー」開設に向けて 2024年4月から7月 その1

1924年 宮沢賢治・音楽ギャラリー 開設に向けて

 年度初頭、どこか気が合うパートナーの伊藤さんが土地を提供、持山の杉林を間伐し、それを材料に「ポスト&ビーム」形式のログハウスを二人で建てることを決めた。完成後は「宮沢賢治・音楽ギャラリー」を開設しようという取り組み。

 1925年の春完成を目指し、平均年齢が70歳を超える(私は後期高齢者)二人だけのプロジェクトは始まった。

 

4月13日 

 仙台市街地から車でおよそ西へ40分、国道から無舗装を小一時間ほどにある山深い  杉林。伐採作業が始まった。

 

5月9日 

 これがなければ始まらない。オークションで探し当てたバックホーが到着。私も練習 を始める。

 

6月7日 

 必要な長さに揃え、レンタルしたユニック車に積み込み搬出。伊藤さんはこんな大型車も乗りこなしユニックを操作できる凄い人。私はいつも補助作業。

 

6月16日  

 建設予定地の仮設ベースキャンプ(敷地内)に荷降ろし完了。

 

6月18日  

 近所に住む伊藤さんの師匠が持っているチェインソーの製材台を借り指導を受ける。

 台への木材の移動・設置はトラクターで吊り上げて行う。

  仕上がりはご覧の通り。

 

7月11日  

 伊藤さんもチャレンジ。大型のチェインソーでないとパワーが足りないそうだ。

 

7月19日  

 バックホーとトラクターを駆使し、国道からの侵入道路を造成。後日砕石敷均する。

 

続きは 炎天下での作業、8月から11月 その2 へ・・・・








   

センダード・ムジカ Vol.3 「銀河鉄道の夜」12月1日(日)開催!のお知らせ

〈SPレコードで聴く「宮沢賢治と音楽」 

編集

  仙台市文学館、土井晩翠忌記念イベント・特別展「文豪、仙台ニ立チ寄ル」の関連企画〈SPレコードで聴く「宮沢賢治と音楽」, 刊行100年『春と修羅』~かげとひかりのひとくさりづつ~〉は盛況にて終了いたしました。

  次回は、「センダードムジカ・SPレコードで聴く宮沢賢治と音楽」は、12月1日(日)「銀河鉄道の夜」をテーマにお送りいたします。只今参加者受付中です。




〈SPレコードで聴く「宮沢賢治と音楽」 『春と修羅』刊行100年 ~かげとひかりのひとくさりづつ~〉開催

 仙台市文学館において、土井晩翠忌記念イベント・特別展「文豪、仙台ニ立チ寄ル。」の関連企画として〈SPレコードで聴く「宮沢賢治と音楽」 刊行100年『春と修羅』~かげとひかりのひとくさりづつ~〉を開催することになりました。私が案内人を務めます。 

要注意:申し込みは9月19日(木)10時からです。また、入場の際には開催中の特別展「文豪、仙台二立チ寄ル」の観覧券の半券提示が必要となります。

 

 今年になってから「センダードムジカ」(杜の都で賢治を聴く会主催)のタイトルで、3月「ポランの広場」ゲスト・愛蘭月光楽団、6月「セロ弾きのゴーシュ」(ゲスト・山本純(チェロ)を開催してきましたが、今回は番外編となります。次回の「センダードムジカ」は、Vol.3 として12月1日「銀河鉄道の夜」を予定しております。

センダード・ムジカ Vol.2 「セロ弾きのゴーシュ」開催

  3月の「ポランの広場」に次ぐVol.2 は「セロ弾きのゴーシュ」。ゲストに昨年仙台フィルを卒業?したチェロ奏者・山本純さんをゲストに行われた。

「猫のトロメライ」 実際のある「トロメライ」のSP盤 

 山本純さんオリジナルの「印度の虎狩」や「愉快な馬車屋」の演奏に、賢治さんがヒントにしたのではないだろうか?といわれる「印度に虎狩りにですって」/ニュー・メイフェア・ダンスオーケストラや「リバリー・ステイブル・ブルース(馬小屋のブルース)」/オリジナル・ディキシーランド・ジャズバンドの当時のSPレコードを蓄音機で合わせて紹介。

 第4夜、野ねずみの親子に聴かせる「なんとかラプソディ」など、賢治さんは登場曲のタイトルを特定しないことで読者へ曲のイメージを委ねる。

 紹介のSP盤はヒントになっていたかもしれないが、ストーリーの中の曲としてはふさわしくないように思える。あくまでも発想源としてとらえた方がいいようだ。