2020-01-01から1年間の記事一覧

宮澤賢治「沈んだレコード」二つの証言 其の二

証言其の二 「沈んだレコード」 佐藤隆房著『宮澤賢治』 冨山房 昭和14年初版 より (大正十一年夏) レコードの蒐集に夢中な頃。わざわざ仙台にまで出かけて行き、気に入ったレコードをたずね歩いて、ようやく会心のものを四,五枚見つけて贖い、帰ったら…

宮澤賢治「沈んだレコード」 二つの証言

「沈んだレコード」 二つの証言 大正十一年夏 1922年 賢治が稗貫農学校(後の花巻農学校)の教諭となった翌年、創作意欲盛んな時期にあたります。夏の出来事、賢治の生徒のひとりで何事にも積極的だった宮沢貫一(この年10月2日退学、盛岡の岩手工業学校へ転…

谷崎潤一郎とジャズ、そして賢治

米国で初めてジャズがレコーディングされたのは、1917年オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドの ♪"Livery Stable Blues"(馬小屋のブルース)で100万枚のヒットとなったことはよく知られる話ですが、その後の大ヒットといえばポール・ホワイトマン…

藤原嘉藤治のその後

藤原嘉藤治とは? 賢治の音楽における無二の理解者であった藤原嘉藤治とはどんな人なのでしょう? 2018年にWOWOW連続ドラマとして放送された「宮沢賢治の食卓」(鈴木亮平が賢治役)で藤原嘉藤治を演じたのは山崎育三郎でした。現在NHK朝ドラで放映中の「エ…

賢治 1927年(昭和2年)秋の「レコードコンサート」

1927年(昭和2年)秋の「レコードコンサート」より 賢治さんは「羅須地人協会」での様々な活動の一つとして「レコードコンサート」をやっていました。 佐藤隆房著『宮沢賢治』冨山房(昭和17年初版)の中に書かれたある日の「レコードコンサート」から紹介し…

万城目 正(まんじょうめ ただし)と賢治

万城目 正(まんじょうめただし)と賢治 万城目 正といえば、古賀政男、古関祐而、服部良一を受け継ぎ昭和の歌謡史に偉大な業績を残した人物として知られる人。彼の作品には叙情的なしっとりとしムード曲が多く、外国のリズムを歌謡曲に取り入れ高峰三枝子が…

「西洋音楽の家元」のモデルは誰か?(前回の続きです)

「西洋音楽の家元」のモデルは誰か? 賢治さんは本当にたくさんのレコードを買っていましたし聞いていました。買ったものを一度聴き終えるとそれを売ってまた別のレコードを買ったり,人にあげたりしていました。あげた人には遠野に住む子弟の沢里武治や後輩…

「西洋音楽の家元」・・・賢治のメモ書きより

宮沢賢治の昭和8年(1933年)8月のメモ書きに「西洋音楽の家元」というのがあります。 校本『宮沢賢治全集』という宮沢賢治の先駆的研究者がまとめ上げた「賢治のバイブル」のような本がありますが、その12巻上 644~646ページに載っています。…

雨ニモマケズ  谷川 徹三 ( 詩人.谷川俊太郎の父、ピアニスト.谷川賢作の祖父 )

雨ニモマケズ 谷川徹三 雨ニモマケズ 谷川 徹三 雨ニモマケズ 谷川 徹三 生活社刊 昭和二十年六月二十日発行 昭和廿年八月廿日再販発行 六十銭 二萬部 著者略歴 大正十一年京都帝大哲學科卒 昭和三年以来法政大學文学部教授として今日に至る、その間文部省専…

1923年~26年 宮沢賢治にとって “ジャズ” がマイブームだった。

1923年~26年 賢治にとって“ジャズ”がマイブームだった。 2019.12 ささきたかお 最初に1918年~27年頃までの賢治(敬称略)を取り巻く音楽事情について羅列してみます。 1918年(大正7年) 賢治22歳。盛岡高等農林学校を卒業したころ蓄音…

『ケンジとケンジ』・・・検事と賢治?

『ケンジとケンジ』。この語呂合わせ、1月から始まったテレビ朝日 木曜ドラマ『ケイジと ケンジ 』(桐谷健太×東出昌大主演)で思い出した。 1925年、宮沢賢治(当時30歳)と11歳年下の友だち森佐一が小岩井農場に行った時の話だ。 森佐一(森荘己…

賢治作品の登場人物のネーミングはどこから?たとえば・・・

前回紹介した賢治さんが残した「レコード交換用紙」からもう1枚紹介しましょう。 商標及びレッテル別 富士山 赤 ベートべン 月光曲 ピアノ 久野久子 一〇吋 損傷ナシ 新古 現在市場ノ売価 二円四〇銭 売価 一円四〇銭 実際の盤面には 演奏者は 東京音楽學校…

♪「 星めぐりの歌」の着想にまつわるお話し

賢治さんは「羅須地人協会」を設立したころ、あまり沢山のレコードを買ってしまい次のレコードを買う資金調達を考え「レコード交換」を考えました。今でいう「リサイクル」です。その時の「レコード交換用紙」が残っています。曲名、演奏者、盤面ラベルの色…

2020年 新年のご挨拶  

2020年 初春 デステュパーゴ所長に代わって新年のご挨拶 デステュパーゴ所長は、正式名がボーガント・デステュパーゴといいまして、宮沢賢治先生の「ポラーノの広場」では、通称“猫博士”の名で登場します。 当時事業に失敗し、広場のパーティでは酔っぱ…