お墓参りで新たな発見!賢治を看取った草刈兵衛医師

 私の義父はクリスチャンでしたのが、お墓は仙台市北山の輪王寺のクリスチャン墓地にある。この墓地には東北学院歴代の宣教師や義父の仙台ホサナ教会などのお墓が並ぶ。私はクリスチャンではないが、命日、お彼岸やお盆(キリスト教なのに?)になど年数回は訪れる。なのにこの夏の墓参では不思議なことが起こった。

 お祈りをして振り向いたところのあったお墓の背面に目が留まった。なんと「草刈兵衛 昭和二十二年四月八日 五十七才」と刻まれている。びっくり!

 仙山線東照宮踏切のところにある「草刈内科」の現先生の祖父である草刈兵衛医師は花巻病院に勤務し、宮沢賢治の主治医として賢治を看取った先生であることを突き止めたのは2年前の11月だった。(「賢治の主治医 草刈兵衛博士」同ブログ2021・11・23)。

 この事でさえ奇遇な出来事だったのに、こんどはそのお墓が隣近所だったなんて・・・・・。そういえば草刈兵衛医師は真面目なクリスチャンだったことが書かれていたのを想い出した。

 賢治についていろいろと調べていると、どこかで私と賢治と繋がっている事柄に出くわす。

 賢治は生涯法華経信者だったことは間違いないが、童話「銀河鉄道の夜」はじめ作品のいろいろな場面に「キリスト教的要素」が描かれていることから、最近彼とキリスト教にまつわるエピソードをいろいろと調べている。

 「羅須地人協会」時代に賢治を困らせた?高瀬露(旧姓小笠原)という女性がいた。彼女は賢治の妹トシの花巻高等女学校の3年後輩で卒業後、黒沢尻尋常高等小学校(現北上市立黒沢尻西小学校)の代用教員としてその後59歳になるまで教師生活を務めあげたクリスチャンであった。なんと黒沢尻西小学校は私の母校である。「銀河鉄道の夜」など賢治作品に登場する賛美歌はこの露から教わったということになっている。(賢治と露については話すと長いので別な機会に)

 もう一つ、賢治が臥せていた1932年に「女性岩手」という本が出版された。創刊にあたって賢治作品の掲載を強く望み、七月号には口語詩「花鳥図譜・七月」が掲載され、以後賢治が亡くなるまでに数編が掲載された。この本の創刊者は多田ヤスといい生まれは東和町晴山というところ。

草刈兵衛医師のお墓(輪王寺


賢治の妹トシ花巻高等女学校時代の大の仲良しだった。トシが級長、ヤスが副級長、トシは主席でヤスは二番、トシはバイオリンを弾き、ヤスは声楽をといった具合だった。ヤスは卒業して二年後結婚するが、その嫁ぎ先がなんとわたしの生まれ育った北上の裕福な馬喰だという。彼女もクリスチャンだった。(この多田ヤスさんにまつわる話も長いのでまた。ヤスという名前が何か匂うな・・・)

 母校、故郷北上が遠巻きながら賢治の生きた時代と繋がっていたことを発見し嬉しくなる。

 こんなことを調べ、何とかこの暑さを凌いでいる。