「西洋音楽の家元」・・・賢治のメモ書きより

宮沢賢治の昭和8年(1933年)8月のメモ書きに「西洋音楽の家元」というのがあります。

 校本『宮沢賢治全集』という宮沢賢治の先駆的研究者がまとめ上げた「賢治のバイブル」のような本がありますが、その12巻上 644~646ページに載っています。

 

 西洋音楽の家元」    

 

明治四十年  先生二十才赴任

 

明治四十五年 大正元年

          作曲、守もせむるも風ふけて、

          校歌 旅音楽家来れば追い返す 蓄音機入り来る

          初めは浪花ぶしやがて洋楽来る先生のぼせる

          ピアノのできる生徒来る先生演奏会に空手でひくレコ

          ードにも空手でひく

          ある朝ドラソッソソ ソミレド ドラソッソソ ソミレドとキンキン

          やられ先生ぼうとなる

大正十年    常設館なる

          はじめてバイオリンを用ふ先生談判に赴く。場主陳謝す

大正十三年   オルガン事件

          先生祭に鹿踊を叱りつく村の連中先生を怒る

          音楽全集買ひたるものあり先生怒りてこれを封ず

大正十四年   先生の全盛時代 床の間には十七挺のヴァイオリン、

          一挺のセロ、サクソフォン、ベビーオルガン

          「アミーバーより紳士まで」交響楽作成

          卒業生うまくなって帰って来る

          先生子弟の礼を欠くといって怒る

          「先生だって月給とって置いていつまでも子弟の礼

          だなんて云うのはおかしいわ。わたしことに先生から

          習った悪い癖を抜くのにまる一年かかったわ

          うまきピアノ弾き来って真剣に勝負を乞ふ。先生めち

          ゃくちゃに負けたほかに叩きつけられ楽器類を全部

          分捕りされる。

          音楽のために戦ってきた。

大正十五年   退去、

          先生夜逃げに決す

          並木のはてに館主追ひ来りて一封を渡す

 

 

  最初は洋楽を毛嫌いしていた先生が、徐々に洋楽にはまりたくさんの楽器を床の間に並べご満悦。ところが上手なピアノ弾きが現れ真剣勝負し、負けて楽器を全部分捕られるというストーリーだて。

 だいたいストーリーの発想には身近にモデルとなった人がいるはずです。

賢治が盛岡高等農林学校時代に詠んだこんな一句があります。

 

    ― ひしげたる ラッパの前に首ふりて レコードを聴く 幹事の教授 ― 

 

                             【新】校本宮澤賢治全集 第一巻より 

                             大正六年四月 賢治が詠んだ俳句

 

  この句に出てくる 「幹事の教授」がちょっと怪しい。「西洋音楽の家元」とは誰か?

 次回で明かそう。