牧野富太郎-鳥羽源蔵-宮沢賢治

牧野富太郎-鳥羽源蔵-宮沢賢治

 

 5月21日河北新報朝刊に、植物学者牧野富太郎陸前高田出身の同じ植物学者鳥羽源蔵にあてた手紙が市の博物館で展示されているという話題が紹介された。牧野富太郎といえば今放送中のNHK連続テレビ小説「らんまん」のモデルになった人物だ。手紙の内容から同じ植物学者としての二人の交友を伺うことができると書いてある。

 鳥羽は、1922年(大正11年)5月には岩手県師範学校教諭心得となり、1928年(昭和3年)には岩手県師範学校(現在の岩手大学教育学部)教諭となるが、この時代に宮沢賢治と交流がある。

 1922年(大正11年)、盛岡で毒蛾の大量発生という出来事があり、鳥羽は岩手日報、岩手毎日新聞などにその実態調査について寄稿していた。それを読んだ賢治は、それを題材に作品『毒蛾』、『ポラーノの広場』では「五、センダード市の毒蛾」として描いている。また同じ年の8月、賢治は花巻高等女学校の教諭藤原嘉藤治が鳥羽と交友があることを知り、イギリス海岸で見つけた偶蹄類やクルミなど様々な化石の照会をお願いする。そしてそれらの化石は鳥羽を介して東北大の早坂一郎助教授に手に渡り、早坂助教授は1925年(大正14年)に、賢治が説明案内役を務め、イギリス海岸で実地調査を行なった。その結果は「地学雑誌」に論文「岩手県花巻町化石胡桃に就いて」として発表され大きな評価を得ることになる。

 このように牧野富太郎と鳥羽源蔵、そして賢治が繋がっていたとは興味深い。賢治作品『猫の事務所』には、「トバスキー酋長」「ゲンゾスキー財産家」の名前が登場する。もちろん鳥羽源蔵からいただいたネーミングだ。なんとも鳥羽のイメージが伝わってくるようでおもしろい。