賢治作品の登場人物のネーミングはどこから?たとえば・・・

前回紹介した賢治さんが残した「レコード交換用紙」からもう1枚紹介しましょう。

商標及びレッテル別 富士山 赤  ベートべン  月光曲 ピアノ 久野久子 一〇吋 損傷ナシ

新古 現在市場ノ売価 二円四〇銭 売価 一円四〇銭

実際の盤面には 演奏者は  東京音楽學校教授 故久野久女史 とある。

富士山レーベル    レコード番号 7263 B 

レコードが録音されたのは1922‐23年頃 発売は1926年。

なぜ賢治さんはこの盤に興味をもって手に入れたのでしょう。

次のような解き明かすヒントがあります。
 久野久 くのひさこ(1886-1925)。久野久と表記されることもあります。
 少女時代に近所の神社の石段で転倒し、片足に障害を負い後にピアノのペダルをうまく踏めないほどだったと云われています。15歳で東京音楽学校に入学、そこではじめてピアノを学びますが、猛勉強を行い1910年には東京音楽学校助教授になります。1915年、自動車事故で一時重体となりますが翌年復帰。1917年、同校の教授となります。1923年、文部省の海外研究員としてベルリン、ウィーンに渡りますが、常に和服姿で過ごすなど、ヨーロッパの生活習慣にまったく無頓着なその振る舞いが周囲の反感を買います。
 そして、自身のピアノの演奏に関しても、リストの一番弟子と云われるエミール・フォン・ザウアーの教えを受けたとき、基礎からやり直しを言い渡されたことに絶望し、1925年4月20日未明ウィーンのホテルの屋上から投身自殺を図り、搬送先の病院で死去という事件を起こします。
 渡欧前に録音されて上記のベートーヴェンピアノソナタ第14番「月光」が唯一残されていましたが、死後の1926年に発売になったこのレコードを賢治さんは買い聴いて知っていました。

 彼女の投身自殺事件は当時日本でも大きなニュースとなったそうですから賢治さんが彼女について大きな関心を持ったことが想像されます。

 実はこの事件のきっかけとなったエミール・フォン・ザウアーがポイント。

f:id:destupargo:20200113151910j:plain



ザウアーはリストの一番弟子でありリストの代表曲「ラ・カンパネラ」を演奏しています。「銀河鉄道の夜」の主人公はジョヴァンニ(イタリアの鐘つき堂)、唯一の友人カンパネルラ(鐘つき堂の鐘、リストの ♪カンパネラから由来?)ですが、ジョバンニの会話にこんな件があります。

「ぼくは学校から帰る途中たびたびカンパネルラの家に寄った。カンパネルラの家にはアルコールランプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合わせると円くなってそれに電柱や信号機もついていて信号機のあかりは汽車が通るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつかったら罐がすっかり煤けたよ。 

そうかねぇ(おかあさん)。

いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家中まだしんとしているからな。

早いからねぇ(おかあさん)。

ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで箒のようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らしてついてくるよ。ずうっと街の角までついてくる。」・・・・・・

 まず本題に入る前に、すごい!カンパネルラの家にはアルコールで走る鉄道模型がこの時代すでにあった。調べてみると鉄道模型の歴史は20世紀初頭から始まっていて、ここに出てきても問題はないんですが、日本でその存在を知る人はそう多くはなかったと思う。世界の事情にもくわしい賢治さんならではである。

 その情報通の賢治さんのこと、久野久子の投身事件に関心が向けられたことは確かで、その発端となったエミール・フォン・ザウアーという人物を調べ上げ良く知っていたのでしょう。
 独逸語では Sauer はザウアーと発音されますが、日本語では通常ザウエルと読まれていたそうです(ザウエルという商標の独逸の拳銃は日本でも知られていました)。

 そうなんですよ。カンパネルラが飼っていた犬はザウエルなんですよ。
リストの「カンパネラを弾くザウエル」を「カンパネルラの犬の名前ザウエル」にしてしまった賢治さん。

 賢治さんの作品に登場する人物のネーミングはこんな風な発想から生まれているのが多いようですよ。それホント? 

 ちなみに写真のエミール・フォン・ザウアーの ♪「ラ・カンパネラ」はフランス盤の PATHE レーベルですが、当時日本にもPATHEのレコードの輸入・販売元があったことが判明していますので、あるいは賢治さんはこれを購入し聴いていたかもしれません。