『ケンジとケンジ』・・・検事と賢治?

 『ケンジとケンジ』。この語呂合わせ、1月から始まったテレビ朝日 木曜ドラマ『ケイジと ケンジ 』(桐谷健太×東出昌大主演)で思い出した。

 1925年、宮沢賢治(当時30歳)と11歳年下の友だち森佐一が小岩井農場に行った時の話だ。   森佐一(森荘己池)著「宮沢賢治の肖像」より

 小岩井駅を降りると、駅前にささやかなバラック風のソバ屋があり、そこには暖かい光がともり、賑やかな人の声がしていた。腹がすきかかっていた私達はそのソバ屋に入ってソバを二ぜんずつ食べたのである。(その時の話がこうだ。)

 そのソバ屋のガラス戸を賢治が先に立って、私たちが入ったとたんに、がやがや賑やかにやっていた連中が、ぴたりと口をとざしてしまった。いっせいに無言になったことが、何かぶきみだった。ソバを食べているよりもお酒を飲んでいる人の方が多く、もちろん人数は十人にもならない少人数でそれでもいっぱいであった。・・・(略)・・・また変なことが起きた。食べ終わって、二人が、そとに出て、数歩あるいたら、たちまちがやがやと店のなかが賑やかになったのだ。

 角屋のところを曲がって、私たちが、馬車トロの道をあるきはじめた。そのとき賢治がいったのである。

《私は、検事にまちがえられたのです。あなたは、給仕ですナ~》

「賢治」と「検事」が、異様でおかしく、前はこれを追憶記に書けなかった。・・・(略)・・・。盛岡から北のほうには、ときどき尊属殺人事件が起きる。嬰児殺しもあり、殺人放火というような事件が起きるか何かして、検事が、直接、何かを調べに来たのだと思われたのであろうということであり、私はつまり、随行の給仕?ということだ。・・・・

 これが『ケンジとケンジ』のはなしである。

 賢治は、行きつけの花巻のソバ屋「やぶや」に誰かとソバを食べに行くとき、‟ブッシュへ行こう”と云っていたそうだ。(やぶ=ブッシュ)

 賢治作品の中に表れる音楽とパラフレーズする作風や登場人物の命名の発想は、きっとこんな日ごろの言葉遊び?連想ゲーム?から生まれているのでは。